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料亭「草津亭」あす閉店 浅草花柳界の顔143年の歴史に幕

東京・浅草の花柳界を明治時代から支えてきた浅草寺裏の老舗料亭「浅草田甫(たんぼ)草津亭」(台東区浅草二)が三十日、百四十三年続いた看板を下ろす。苦渋の決断をした六代目当主の藤谷政弘さん(54)は、浅草の芸者衆と料理店などを束ねる東京浅草組合の組合長でもある。「江戸料理の伝統と花柳界の明かりは守りたい」と今夏、近くに開く割烹(かっぽう)店に、愛着ある店の名を残す。

五月十五~十七日にあった三社祭の翌日、浅草神社や氏子四十四カ町代表が集う恒例の直会(なおらい)が草津亭であり、閉店を知った参加者らが口をそろえた。「ここがなくなったら浅草の人はどうするのよ。寂しいというより、悔しいよね」

一八七二(明治五)年、信州善光寺を信仰していた初代が「草津温泉の湯の花を持ち帰って店を開け」という夢のお告げで駒込神明町(現在の文京区本駒込)に温泉付きの割烹を創業。その後、日本橋を経て、八五年に現在地へ。当時は周囲が一面の田んぼだったため、店名に「田甫」を冠したという。

伝統的な江戸料理を提供する。仕出し弁当と名物「玉子焼(たまごやき)」は百貨店でも人気だ。

江戸中期に誕生した浅草花柳界は、一九五〇年代半ば、料亭が約八十軒、芸者衆も三百人以上いたという。しかし、現在は八軒、二十五人と激減。藤谷さんは花柳界を活性化するため、手ごろな料金で料亭料理と芸者の接待を楽しめる「お座敷入門講座」「ビアお座敷」などを組合長として、次々に発案してきた。

「正直、自分の店は二の次でした」と藤谷さん。気付けば、地下一階地上六階の店舗は、建ててからまだ二十三年なのに雨漏りし、空調や照明、冷蔵庫などの故障も相次いでいた。

百畳の座敷を持つ料亭は都内でも珍しい。味わいのある中庭、堂々とした門構えの入り口。情緒があり、手の込んだ建物だけに、大規模修繕には二億円かかることが分かり、悩んだ末、断腸の思いで店を閉じることにした。

「昭和三十年代までは大小さまざまな料理店や待合(貸座敷)がひしめき、三味線の音や人々の声で夜中までにぎやかだった」と振り返るのは、草津亭の並びで百五十年ののれんを守る、足袋と祭り用品の老舗「浅草めうがや」の上田寛さん(79)。子どものころ、中庭に忍び込んでは力士の結婚式や芸者衆の踊りをこっそり見て胸躍らせた。「浅草っ子の節目にはいつも草津亭があった。私の通夜も予約済みだったのに」と惜しみつつ「これも時代かな。よく頑張った」と、再起を目指す藤谷さんにエールを送る。

跡地にはマンションが建つ。藤谷さんは、同業者から草津亭再起の地として銀座や日本橋を薦められたが、組合に近い浅草の地にとどまった。「初代からお世話になった浅草の人、そして花柳界に、まだまだ恩返ししたいですから」

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015052902000249.html
参照元記事 / 東京新聞

143年続いた看板を下ろす料亭「草津亭」=東京都台東区で / 東京新聞

143年続いた看板を下ろす料亭「草津亭」=東京都台東区で / 東京新聞

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