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秩父夜祭の古文書、100年の眠りから目覚め 中村町会が解読し刊行

12月2、3日に開催される「秩父夜祭」に合わせて、秩父市の中村町会(高橋徳太郎町会長)が、100年間眠っていた江戸期と明治期の古文書を解読し、読み下し文と解説を加えた書物を刊行した。今回の解読による新たな発見もあり、関係者は「夜祭の歴史に新たな光が差すのではないか」と期待を高めている。

今回解読されたのは、「祭礼日記」(文政10=1827年~嘉永3=1850年)と「御祭礼記録」(万延元=1860年~大正元=1912年)の2冊。同町会の町民たちが夜祭の祭礼などを記録し、約100年にわたり同町の中近笠鉾(かさほこ)収蔵庫の奥に保管されてきたものだ。文書は和紙に墨で書かれており、柳ごうりに収納されていて保存状態が良かったことが判読にも幸いした。

同町会では古文書の解読・公開を実現しようと、46年前から基金を積み立てていたが、今回は発行の機運が自然と盛り上がり、県文化振興基金助成事業に認定され、出版にこぎ着けた。解読は県立歴史と民俗の博物館の大久根茂専門員と、中村町在住の秩父市文化財保護審議委員会委員の黒沢恵美子さんが主に5月から行った。

解読では新たな事実も見つかった。「祭礼日記」では、江戸幕府による文政の改革で山車などが禁止されたことに対して、山車を引く6カ町が文書で繰り返し抵抗した様子などを記録。秩父神社の鎮守の森「柞の森」(ははそのもり)の社木を幕府に差し出すことになった際には、氏子たちが猛反発し小田原宿まで出向き、「御赦免」を勝ち取り大喜びしたことなども書き記されている。

また、「御祭礼記録」では、中村町の笠鉾が本来の姿でのえい行が不可能となった時期や原因などについても記載されており、今回の解読で、明治44(1911)年の電話線敷設によるものだと分かり、従来の大正3(1914)年の電灯線によるものではなかったことなどが新たに判明した。

高橋町会長(73)は「先人が残してくれたあれだけの書物を世に出せて、最高の思いだ。180年も前から決められた祭りの形も分かり、このお祭りを本来の形で後世に伝えていくのがわれわれの役目」と話していた。

冊子はA4判99ページで、発行部数は250部。県立図書館や秩父市立図書館などで閲覧できる。

問い合わせは、中村町公会堂(〒368―0051 秩父市中村町1の3の13)へ。

http://www.saitama-np.co.jp/news/2014/11/29/07.html
参照元記事 / 埼玉新聞

古文書と書物を手にする中村町会の(左から)井上隆さん、高橋徳太郎町会長、中村知夫さん / 埼玉新聞

古文書と書物を手にする中村町会の(左から)井上隆さん、高橋徳太郎町会長、中村知夫さん / 埼玉新聞

中村町会が解読した「祭礼日記」(右)と「御祭礼記録」 / 埼玉新聞

中村町会が解読した「祭礼日記」(右)と「御祭礼記録」 / 埼玉新聞

 

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