多くの歌舞伎役者と親交を持つ東京・浅草の扇子店四代目、荒井修さん(67)が、故中村勘三郎さんとの思い出をつづった「浅草の勘三郎」を出版した。「江戸の歌舞伎小屋を再現したい」と二人で描いた夢は二〇〇〇年、「平成中村座」に結実。中村屋スピリッツを受け継いだ長男勘九郎さん、次男七之助さんらによる三年ぶりの「平成中村座」浅草公演は三日、幕を閉じる。
研究熱心で地元でも「浅草の生き字引」といわれる荒井さんの元には、二十代のころから「江戸歌舞伎、江戸の浅草を知りたい」と若手歌舞伎役者が集い、荒井さんもまた、彼らから着物の着方やデザインなどを学んだ。
中でも、七歳年下の勘三郎さんとは「妙に馬が合い」、勘三郎さんの本名「波野哲明(のりあき)」から、「のりちゃん」「修ちゃん」と呼び合った。時間があると酒を酌み交わし、夜を徹して歌舞伎や浅草について語り合った。
「人を喜ばせることが何よりも好きでいくつになってもやんちゃだが、芝居にかける情熱はすごかった。努力なくして天才はいない」と荒井さん。勘三郎さんもまた、役者でも演出家でもない荒井さんに、演目や大道具について相談するなど信頼を寄せていた。
本には、平成中村座実現までの秘話や、四十年来の盟友だからこそ知る勘三郎さんの素顔、さらに十二代目市川団十郎さん、十代目坂東三津五郎さんなど、亡き名優とのエピソードも綴(つづ)った。
表紙の絵は、勘三郎さん夫人の好江さんが三回忌の記念品として特別に仕立てた扇子に、荒井さんが描いた勘三郎さんの目。タイトルは、「僕はいずれ浅草に住むんだからね」という勘三郎さんの口癖からとった。その言葉通り、勘三郎さんはいま、浅草にほど近い波野家の菩提寺(ぼだいじ)、西徳寺(台東区竜泉)に眠っている。
浅草を愛した勘三郎さんに、荒井さんは「還暦になったら、ご当地ものの『助六』を演じて」と頼んでいた。生きていれば、今年が約束の年。「見たかったねぇ」。荒井さんは目の前に見えている「のりちゃん」に語りかけた。
「浅草の勘三郎」は小学館刊、千九百四十四円。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015050302000126.html
参照元記事 / 東京新聞