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博多曲物 私が継ぐ。27歳の二川さん、ご飯の味と木の香りに感動。修業1年、徐々に成長 / 福岡

300年以上の歴史があるとされる福岡市の伝統工芸「博多曲物(まげもの)」職人を目指し、東区馬出の柴田徳五郎さん(86)=市無形文化財=の工場で27歳の女性が修業に励んでいる。南区に住む二川薫さん。縁もゆかりもない伝統工芸の世界に飛び込み、今月末で丸1年。少しずつ成長する姿に、柴田さんは「店を継いでほしい」と願っている。

博多曲物は、杉やヒノキなどの薄い板材を曲げ、合わせ目を桜の皮でとじた容器。弁当箱や飯びつ、茶道具など用途は幅広い。江戸期の地誌が特産品として紹介。筥崎宮の祭具に用いられ、門前町の馬出地区には明治期に二十数軒あった。今も同地区に残るのは柴田さんが営む「柴田徳商店」だけという。

二川さんは知人が持っていた博多曲物の弁当箱に引かれ、昨年8月、柴田さんの工場を訪れた。3度目の見学のとき、柴田さんは組み立てる作業中だった。工程や歴史など初歩的な質問にも丁寧に答えてくれた。その姿に思わず「やってみたい」。弟子入りを志願した。

二川さんは福岡市で生まれ育ち、高校の普通科を卒業後、販売、事務員などを務めた。職人の世界は縁遠かったが「自分で使ってみたら、ほんのりと漂う杉の香りとふっくらしたご飯がおいしかった」。博多曲物の魅力に引き込まれ、月曜から土曜の昼間、工場に通い技術を習得。夜は生活のためにデータ処理などのアルバイトをする日々を続けた。

板材を機械で曲げ、組み立てるまでの作業を任されるようになり、柴田さんは「勉強熱心で覚えも早い」と目を細める。「店の後継ぎに」と期待するようになった。ただ、曲物職人として最も難しいのは市場で買い付ける丸太の目利き。材質の良しあしで品質が左右される。「板にしたとき、きれいなのは均等に目が詰まったもの。試行錯誤を重ねても難しい」と柴田さん。「失敗して覚えることもある。一度やらせてみないと」とも。

二川さんは「そう簡単には覚えられない仕事。周りの期待は考えず、目の前の仕事をやるだけです」。木の香りが漂う工場で、前に進むことだけを考えている。

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■手間敬遠され後継者難 県内製造2軒
博多曲物の起源は、はっきりしない。日本書紀に登場する神功(じんぐう)皇后が応神天皇を現在の福岡県宇美町で産んだとき、へその緒を納める箱として作られたという伝説がある。最も古い記録としては、福岡藩の儒学者だった貝原益軒の地誌「筑前国続風土記」に「馬出の町には、家々に捲(まげもの)を作る」と記されている。
柴田徳五郎さんによると、馬出地区の職人は大正期、駅弁などの需要の高まりとともに折り箱業に転業。細長い板を円状に並べて、たがで結う「おけ」が普及したことに加え、材料の丸太の仕入れから加工、販売まで一貫して手掛ける手間が敬遠されて、後継者はなかなか育っていない。柴田さんは「職人になりたいという若い人は少ない。自分もいつまで続けられるか分からないし、今後が心配」と話す。
福岡県内で他に博多曲物を製造しているのは、馬出地区から志免町に移転した老舗1軒だけという。

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■300年以上続く伝統工芸品
▼博多曲物 福岡県知事指定の特産工芸品。くぎなどの金属は一切使わず、長細い桜の皮で縫うようにつなぎ合わせるため、非常に軽く、乾燥するとより耐久性が増すなどの特徴がある。柴田徳五郎さんは1981年、福岡市の無形文化財保持者に認定された。
博多曲物は博多区冷泉町の博多町家ふるさと館に展示されているほか、毎週木曜の午前10時~正午と午後2~4時の2回、実演もある。ふるさと館=092(281)7761。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_toshiken/article/108228
参照元記事 / 西日本新聞

柴田徳五郎さん(右)に弟子入りし博多曲物職人を目指す二川薫さん=福岡市東区 / 西日本新聞

柴田徳五郎さん(右)に弟子入りし博多曲物職人を目指す二川薫さん=福岡市東区 / 西日本新聞

ご飯がおいしくなる博多曲物(柴田徳五郎さん作) / 西日本新聞

ご飯がおいしくなる博多曲物(柴田徳五郎さん作) / 西日本新聞

 

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