江戸時代に鳥取藩が湯梨浜町橋津に設けた「橋津藩倉(はんそう)」の全景写真が見つかった。14棟あった倉のうち明治時代後期に残っていた10棟が写っており、江戸時代の藩倉の姿に迫る貴重な発見となった。29日に同町で開かれる橋津歴史塾の月例会で佐々木靖彦会長(73)=同町橋津=が発表する。
写真は、橋津藩倉の近くに事務所があった慈善団体「奨恵(しょうけい)社」の50年誌を執筆した鳥取市の岩田勝市(1884~1955年)が収集した写真の中にあった。ひ孫の尾中芳子さんから小山富見男鳥取敬愛高校長、佐々木孝文鳥取市教委文化財課長補佐、松本絵里県教委文化財主事を経て、佐々木会長にもたらされた。
佐々木会長は以前から橋津藩倉を研究しており、写真に河川改修前の橋津川や、民家にはない長大な建物があることなどから橋津藩倉の写真と鑑定。
米を貯蔵した倉10棟、米を計量した計屋(はかりや)1棟のほか明治時代に建てられた奨恵社の事務所や登記所も写っていた。
撮影年代は、写真の左端に1899(明治32)年にできた登記所があること。1908(同41)年に倉の1棟を壊して建てられた橋津尋常高等小学校が写っていないことから、1899~1908年の間に撮影されたと推定した。
1808(文化5)年の絵図には倉14棟、計屋1棟、役宅2棟が描かれている。そのうち倉4棟、役宅2棟を除き建物の配置がほぼ一致。この6棟は撮影時までに壊され、役宅の跡に奨恵社事務所が建てられた。撮影当時に残存した藩倉の全体を写したと判断した。
29日午後1時半から、橋津地区公民館で佐々木会長が発見の経緯や写真の分析などを講演。尾中さんが写真の実物を持って参加し思い出話を紹介する。
佐々木会長は「橋津藩倉は全国的にも貴重な建造物で、全景写真は初めて。来年は創設370年目になる節目の年で、全国藩倉サミットなど記念のイベントが開ければ」と話している。
藩倉(はんそう)
江戸時代に年貢米を保管した倉。鳥取藩は12カ所の藩倉を置き、鳥取・倉吉・米子の3カ所には藩士に与える俸禄(ほうろく)米を、他の9カ所は「灘倉(なだぐら)」と呼ばれ大坂や江戸で売却する米を保存した。橋津藩倉は灘倉の中で最大で1645年に建てられ、約5万俵の米が貯蔵できたという。現在は三つの倉が残っている。全国的に藩倉が残っているのは橋津を含めて4カ所しかない。
http://www.nnn.co.jp/news/141128/20141128006.html
参照元記事 / 日本海新聞