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幕末薩摩の豚肉料理 焼き豚、豚汁、丸焼きと多彩 / さつま人国誌

東京・港区田町にあった薩摩藩江戸藩邸の上屋敷跡を発掘調査したら、大量の豚の骨が出土して話題になったことがある(写真参照)。
江戸時代には仏教の殺生禁断の教えが浸透しており、日本人は肉食を好まなかった。ところが、薩摩人だけは例外で、豚肉をよく食べた。黒豚王国・鹿児島のルーツを見る思いがする。
幕末の薩摩人が豚肉を食べたことが多くの史料に登場する。では、どんな食べ方をしたのだろうか。驚くなかれ、まさに現代人とほとんど変わらない。
家老・小松帯刀が一橋慶喜(のち十五代将軍)の豚肉好きにほとほと困った書簡が残っている(「玉里島津家史料三」一二一七号)。慶喜が何度も豚肉を所望するので、小松の手持ちがなくなり、これ以上は無理だと断ったと書かれている。小松は「琉球豚」とも書いており、豚肉は塩漬けが一般的で、「炒いり豚」という言葉から炒めて食したのだろう。琉球から伝来した調理法、保存法だと考えられる。
ところで、慶喜は豚肉好きだったため、「豚一ぶたいち殿」(豚の好きな一橋殿)とあだ名されていたほどである。じつは慶喜の豚肉好きには薩摩がかかわっているのではないか。—

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http://373news.com/_bunka/jikokushi/kiji.php?storyid=6093
参照元記事 / 南日本新聞社

薩摩藩江戸藩邸から出土した豚骨=東京都港区教育委員会提供 / 南日本新聞社

薩摩藩江戸藩邸から出土した豚骨=東京都港区教育委員会提供 / 南日本新聞社

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