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日中つなぐ文豪の書簡 魯迅の弟へ、谷崎潤一郎ら1400通

【北京=共同】中国の作家、魯迅(ろじん)の弟で中国文学者の周作人(しゅうさくじん)(一八八五~一九六七年)宛てに、谷崎潤一郎や武者小路実篤ら日本の文豪が送った書簡約千四百通が北京市にある周の孫、周吉宜(しゅうきつぎ)さん(65)宅に保管されていることを吉宜さんが二十五日明らかにし、資料の一部を共同通信に公開した。

周は魯迅に次いで〇六年から一一年まで、日本へ留学。日本文学を研究する一方、多くの日本の文学者や芸術家と交流を深めた。

谷崎(一八八六~一九六五年)が六〇年代に記したとみられる書簡(秘書の代筆)では「不愉快」という言葉を何度も使って戦時中を回顧。「国交が回復せず北京へ直行できないことが不便この上ない」とし、平和な環境下で再会したい思いが強調されていた。

谷崎の妻松子から送られた谷崎の死を伝える書簡には「最後まで創作意欲を燃やしておりました」と記されていた。

作家、武者小路実篤(一八八五~一九七六年)の日中戦争前の書簡には「日本も何かやっているようですが、ともかく村を村らしく仕上げて見せる方に今、全力をつくしたく思っています」と記され、理想郷を目指して開いた「新しき村」の発展に奔走していた様子がうかがえる。

吉宜さんは「当時の中国と日本の文化人同士の交流を浮かび上がらせることで相互理解につながる」として、周作人と親交があった日本側の関係者や学者らに資料発掘や研究への協力を呼び掛けた。

島崎藤村や詩人、草野心平らの直筆の書簡、志賀直哉の年賀状なども見つかった。

書簡の整理に当たった弘前学院大の顧偉良(こいりょう)教授によると、書簡の差出人は三百五十~四百人に上る。顧氏は「日中間の民間レベルの関係が解き明かされる資料。周が差出人となった書簡を日本側で収集し、往復書簡の記録として確認していきたい」と話した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015032602000276.html
参照元記事 / 東京新聞

公開された谷崎潤一郎が中国文学者の周作人に宛てた書簡(共同) / 東京新聞

公開された谷崎潤一郎が中国文学者の周作人に宛てた書簡(共同) / 東京新聞

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