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「千貫神輿」山車に載せ巡行 41年ぶり町内渡御 きょうから大祭 / 台東

下町に祭りシーズンの到来を告げる下谷(したや)神社(台東区東上野)の大祭が八日、始まる。けた外れの大きさから「千貫神輿(せんがんみこし)」とも呼ばれる同神社の宮神輿。陰(かげ)祭りの年は本来なら境内に飾るだけだが、今年は四十一年ぶりに、山車に載せて上野や御徒町など氏子町内を巡る「町内渡御(とぎょ)」を復活させるという。

千年の歴史を持つ下谷神社。宮神輿は、氏子だった徳川七代将軍家継(いえつぐ)の生母月光院が、病弱な息子の健康を祈願して奉納したと伝えられる。関東大震災で一度焼失し、現在あるのは一九二六年に造られたもの。高さ三メートル以上、台輪も幅百二十センチあり「千貫神輿」の異名を取る。

本来、神輿は肩に担ぐもの。しかし氏子らは一九五三年から七三年まで、本祭りでも宮神輿を担ぐ代わりに山車に載せて町内を巡行した。「担ぎ手も少なく、町神輿を出せない町会も多かったから」と阿部明徳宮司(61)は振り返る。

だが、七〇年代を迎えると、都内に空前の神輿ブームが巻き起こる。下谷神社でも七五年、宮神輿を担いでの宮出しを再開した。以来年々、千貫神輿目当てに担ぎ手が各地から殺到するようになったが、皮肉なことにその荒くれぶりから、子どもや女性、お年寄りは氏子でも近寄りがたくなってしまった。

「昔のように山車に載せて引いたら、小さな子どもからお年寄りまで、三世代が一緒に宮神輿渡御に参加できるのでは」。最若手の氏子総代で、子どものころから周囲も認める「祭り好き」の山下隆利さん(49)が提案し、今年実現することになった。

山下さんが最後に宮神輿の山車を引いたのは八歳の時。いっぱしに担ぎたかったから当時は渋々だったが、いまではその良さに思いが至る。「山車に載せれば、担いでは入れない町の隅々まで神輿が行ける。氏神さまに町の繁栄を見てもらうのも、本来の宮神輿渡御の姿では」と語る。

八日に式典、九日に子ども神輿や町神輿の連合渡御。山車に載せた宮神輿の宮出しは十日午前九時、宮入りは午後三時。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20150508/CK2015050802000118.html
参照元記事 / 東京新聞

1973年5月、宮神輿を載せた山車をひく山下さん(左から3人目)=いずれも台東区で、下谷神社提供 / 東京新聞

1973年5月、宮神輿を載せた山車をひく山下さん(左から3人目)=いずれも台東区で、下谷神社提供 / 東京新聞

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