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<熊谷うちわ祭>うちわ配布、明治35年頃 山車・屋台導入と同時期と判明

熊谷市で20日から22日にかけて開かれる「熊谷うちわ祭」の名称の由来となった渋うちわの配布開始について、明治35(1902)年頃であることが、熊谷八坂神社祭礼行事保存会と市江南文化財センターの共同調査で判明した。各町区で山車・屋台を導入した時期と重なり、祭りが大きく変化する中で渋うちわが普及したことが分かった。

うちわ祭は江戸時代から260年以上続く八坂神社の大祭。熊谷では祭りの日に赤飯を炊き、疫病よけを願う風習があった。熊谷の料亭「泉州」が日本橋の老舗「伊場仙(いばせん)」から渋うちわを取り寄せ、赤飯の替わりに得意客に配布。それが評判を呼んで他店でも取り入れ、「うちわ祭」の名が定着した。

渋うちわの配布開始は、江戸時代、明治初年、明治30年頃など諸説あり、祭りをめぐる謎の一つだった。2012年のうちわ祭で、伊場仙の社長と泉州を開いた萩原半次郎の子孫が対面したことがきっかけとなり、調査がスタート。戦災により多くの資料が焼失している状況下、古文書目録の解読や関係者への聞き取りを進めてきた。

文化財センターなどによると、半次郎は明治25(1892)年頃から、日本橋の料亭「八百善」へ修業に行った。そこで現地の祭礼「天王祭」を見学し、会場を飛び交ううちわに感銘を受けたという。明治27(94)年に泉州を開店。地元の筑波町が山車を購入した明治35年頃、伊場仙から渋うちわを購入したとされる。

うちわ祭は当初、神輿渡御が中心だったが、第二本町区が神田から山車を購入したのを皮切りに、山車・屋台の祭りへと転換した。その体制が確立されたのが明治20年代~40年で、渋うちわの配布とともに現在の祭りの骨格が形成された。

変化は景気も作用していたようだ。調査に当たった同センターの山下祐樹さん(32)は「当時の熊谷は製糸業や製粉業で発展を遂げていた。その好景気に支えられて祭りが盛り上がり、全国的にも珍しい『うちわ』の名を冠した祭りとなったと考えられる」と指摘した。

http://www.saitama-np.co.jp/news/2015/07/03/09.html
参照元記事 / 埼玉新聞

萩原半次郎が感銘を受けたとされる小舟町天王祭を描いた月岡芳年の「天王祭」(複写本)=熊谷市江南文化財センター提供 / 埼玉新聞

萩原半次郎が感銘を受けたとされる小舟町天王祭を描いた月岡芳年の「天王祭」(複写本)=熊谷市江南文化財センター提供 / 埼玉新聞

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