Blog

木枯らし1号の知らせ と 『町名由来版』 / denmira blog

ここ数日でぐぐぐっと気温が下がってきたなぁと思っていたら、
東京でも10/27に木枯らし1号が吹いたとの発表がありましたね。

昨年の木枯らし1号は11/11だったので、今年は15日も早いです。
今年は、冬の足音が早く来ているのでしょうか?

ちなみに、
気象庁お天気相談所作成の「東京地方の木枯らし1号」のまとめによると、
最早記録 10/1:31988(昭63)年
最晩記録 11/28:1981(昭56)年、1969(昭44)

 
話は変わりまして、
でんみらとしての活動をするようになってから、
見えてくる景色がちょっぴり変わってきました。

というのも、
目的地へと足早に向かうだけの頃にはわかりませんでしたが、
江戸時代の町名を示す看板が立っているのに気づいたからです。

みなさまは、ご存じでしたか?

時代の変遷や区画整理事情で消えてしまった、
歴史的に意味のあった町名を、由来の案内板として、
区が設置しています。

例えば、こんな感じです↓

 

20141028_2920048

ここはかつて神田元佐久間町と呼ばれていました。
江戸時代、この界隈には豊前小倉藩小笠原家の中屋敷がありました。
明治二年(1869)十二月に発生した火事で、このあたりは様相を一変します。神田相生町から出た火は、現在の外神田周辺を焼き尽くしたといわれています。明治新政府は、神田佐久間町一丁目内にあった神田柳屋敷などに火除地(防火のための空き地)を設置しました。そのため、そこに住んでいた人々が代地として小笠原家屋敷跡に移転してきたのです。明治三年(1870)のことでした。
神田元佐久間町の町名が生まれたのはこの時です。新たに生まれたこの町を神田佐久間町と区別するため「元」が付けられたのです。明治四十四年(1911)、いったん元佐久間町と改称されましたが、昭和二十二年(1947)、千代田区ができたときに町名はふたたび神田元佐久間町となりました。この町名は、一帯が住居表示の実施によって外神田五丁目となる昭和三十九年(1964)まで使われていました。

 

20141028_2920049

 

現在と昔の地図の対比も面白いです。
見かけたら、一度足を止めて見てみてくださいね。

 

┏ 今後のイベント・ワークショップ ━━━━━━━━━━━━━━━━・
錦秋の古民家で味わう茶菓御膳の宴

八女茶くま園のお茶と和菓子薫風の和菓子を輪島塗の漆器で、
コース料理のように楽しむ『茶菓御膳の宴』を催します。

詳細&お申込みは下記ページをご確認ください

■11/29(土)・30(日)
13:00~15:20(両日とも同じ内容です)

http://denmira1129-30.peatix.com

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━・

★過去開催のワークショップ★
・浪曲プリンス東家一太郎の新・浪曲入門
・厄除けを願う 季節の和菓子手作り体験
・江戸より続く伝統工芸 うちわ作り体験
・魂躍らす笛太鼓 江戸祭囃子体験
・江戸時代主流の角行灯作り体験
・江戸更紗テーブルセンター染色体験
・伝統の手前味噌づくり体験
・豆盆栽で手のひらの創造美体験
・「苔が織りなす日本の盆景美を堪能」苔庭づくり
・つまみ細工で和のアクセサリー製作体験
・漆の器に桜の蒔絵をデザインしよう
・まぁるい盆栽を愛でる!?苔玉づくり
・老舗御菓子司に習う季節折々の和菓子作りVol.1
・老舗御菓子司に習う季節折々の和菓子作りVol.2
・老舗御菓子司に習う季節折々の和菓子作りVol.3
・狂言が10倍解る!楽しめる!キホン講座とKyogen Lounge観賞

でんみらブログより(2014.10.29 UP)
http://blog.denmira.jp/?eid=151

Powered by: Wordpress