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復興、活性化 輪島塗の技 「六職会」分業制越え商品開発

能登半島地震あす8年

伝統工芸の輪島漆器産業を活性化させようと、石川県輪島市の若手職人が分業制の垣根を越えたグループ「六職会」をつくり、商品開発に取り組んでいる。二十五日で発生から八年を迎える能登半島地震で、業界の復興を担った職人たち。後継者難の業界の中、新しい発想で魅力を創出し、後進の育成も図ろうと奮闘している。(石井真暁)

六職会は、分業制の輪島塗を担う六業種の「輪島塗六職」から命名した。震災後、復興支援の枠組みの中で、新商品の開発・販売に取り組んだ職人らによる前身団体のメンバーが、支援事業期間終了後の二〇一二年四月に結成。輪島塗では若手に入る五十~六十代の職人八人が月に数回集まっている。

代表の水尻清甫(せいほ)さん(60)=輪島沈金業組合長=によると、輪島塗では異業種の職人同士が一緒に作業したり、協議したりする機会はあまりなかった。水尻さんは蒔絵(まきえ)と沈金を合作するなど、六職会で新しい表現方法が生まれた例を挙げ、「異業種のつながりが強まると、新しい発想や技術が生まれ、若者にも魅力ある作品を作れる」と話す。

前身団体のころから約百三十点の作品を制作。県内外の展示会にも出品してきた。今年に入って金沢市での展示会にぐいのみを出品したほか、リニューアルした金沢駅の観光案内所にも約二十点を並べた。商品営業力を補い合ったり、人材育成に向けた課題を共有したりもしている。

「ものづくりは心のあり方に左右される。地震後は、たくさんの職人が辞めた」。水尻さんはため息をつく。震災で作業場が倒壊し、展示会が減り、観光客も減った。分業制のため一業種がダメージを受けると他に波及する。もともと後継者不足が課題だったが、震災によるストレスも加わり、職人の職離れを早めた。

六職会は今後、若者を含めたメンバーを増やし、人材育成にも力を入れていく考えだ。水尻さんは「私たちが伝統をつなぐ最後の世代。震災から八年も、十年も同じこと」と身を引き締める。北陸新幹線が開業し「人が流れることで、文化を知ってもらう機会も増える。この機会を生かしたい」と力を込める。輪島市によると、一三年の産業従事者は千三百九十人。過去三十年でピークの一九九〇年からは約千五百人、震災があった二〇〇七年からは約三百六十人が減った。

 
輪島塗六職

輪島塗の分業制を担う塗師屋(ぬしや)椀木地(わんきじ)曲物(まげもの)指物(さしもの)蒔絵(まきえ)沈金(ちんきん)6業種のこと。輪島塗は多岐にわたる製造工程を分業、専門化することで、高いレベルの技術を維持してきた。6業種は江戸時代から輪島塗六職と呼ばれ、それぞれが組合をつくって産業を受け継いでいる。
http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2015032402100009.html
参照元記事 / 中日新聞

(上)六職会のロゴマークを紹介する水尻清甫さん=石川県輪島市河井町で (下)六職会が金沢市での展示会に出品したぐいのみ=石川県地場産業振興センターで / 中日新聞

(上)六職会のロゴマークを紹介する水尻清甫さん=石川県輪島市河井町で (下)六職会が金沢市での展示会に出品したぐいのみ=石川県地場産業振興センターで / 中日新聞

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