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嬉野・吉田皿屋に赤絵工房跡 / 佐賀

■江戸初期の磁器片、道具 「有田とほぼ同時期」

17世紀中ごろの初期色絵の磁器片が、嬉野市嬉野町吉田皿屋地区で大量に見つかった。赤絵窯の存在を示す窯の内壁とみられる破片や道具、焼成時の土台も出土している。県立九州陶磁文化館は「有田とほぼ同時期の江戸初期に、吉田皿屋地区に赤絵の生産工房があったことを裏付ける資料」と位置付けている。

色絵磁器片は、いずれも吉田で1650~60年頃に生産された「色絵印判手仙境図」や「色絵芙蓉手花卉紋」の皿など計134点。生産現場だったことを示す、赤い顔料が付着した乳棒の先端部分や窯の破片も発見された。ほかに無数の染め付け磁器片や、焼成時に使う土台などがあった。

出土した場所は、私有地の駐車場跡地で、1998年に当時の嬉野町が発掘調査した「吉田2号窯」の西約200メートル。所有者が車庫の基礎工事をした際、残土の一部に色絵磁器片があるのを、仮置き場を提供した宮崎祐輔さん(61)=「谷鳳窯」窯主=が発見した。既に車庫の工事がほぼ終わり、発掘調査はできなかったという。宮崎さんが残土から陶片を全て採集した。

伝世品と一致する図柄や絵の具の質などから、九州陶磁文化館の家田淳一学芸課長らが「17世紀中ごろの吉田の色絵磁器」と結論づけた。

この時期の吉田窯の磁器は、16世紀末から17世紀初めに中国南部で作られた呉須赤絵のデザインを写した作風が特徴で、東南アジアにも輸出されていた。「吉田2号窯」でも、今回と同時代の色絵磁器片が数点出土している。

家田課長は「有田とほぼ同時代の江戸初期に、吉田皿屋地区に赤絵の生産工房があったことは想定されていたが、具体的な道具類が出てきたことで、より確実に言えるようになった。この地区を発掘すれば、赤絵の窯そのものが出てくる可能性もある」と話す。

吉田皿屋地区が属する蓮池藩ができた後に磁器生産が始まり、10~20年で赤絵生産が終わっていることに着目し、「有田の赤絵町でハイテク産業を一括管理しようとする鍋島本藩の力が働いた可能性もある」と推測している。

今回の出土資料は4月3~5日、窯元市「おやまさん陶器まつり」がある吉田焼窯元会館で展示する。5日午後1時からは家田課長が講演し、出土品を解説する。

http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10101/171471
参照元記事 / 佐賀新聞

出土した色絵磁器を伝世品の「色絵印判手仙境図大皿」の写真と比較すると、特徴的な図柄が一致する=嬉野市嬉野町の「谷鳳窯」 / 佐賀新聞

出土した色絵磁器を伝世品の「色絵印判手仙境図大皿」の写真と比較すると、特徴的な図柄が一致する=嬉野市嬉野町の「谷鳳窯」 / 佐賀新聞

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