武者姿の市民らがたいまつを持って練り歩く「観櫻火宴(かんおうかえん)」が28日夜、雲仙市千々石町であった。
千々石にあった釜蓋(かまぶた)城の城主、千々石大和守直員(やまとのかみなおかず)は1577年、佐賀の龍造寺氏と戦って敗れた。直員は天正遣欧少年使節の一人、千々石ミゲルの父。この史実をまちおこしに生かそうと実行委(町田岩太委員長)が主催し、19回目を迎えた。
昨年は雨だったため、2年ぶりとなったたいまつ行列。約150人が炎を上げるたいまつを持って同町海岸の福石公園を出発し、「ますます栄えあれ」を意味する「いやさか」と声を上げながら桜が咲く橘神社まで歩いた。肥前千々石鉄砲隊による演武や御神楽(みかぐら)の奉納、天正遣欧少年使節の劇上演などもあった。
http://www.nagasaki-np.co.jp/news/kennaitopix/2015/03/30092007016927.shtml
参照元記事 / 長崎新聞