Exhibition

上方歌舞伎の名優 初代鴈治郎の足跡たどる 大阪で展覧会

「頬かむりの中に日本一の顔」(岸本水府(すいふ))と川柳にうたわれたのは、「河庄(かわしょう)」の紙屋治兵衛を当たり役とした初代中村鴈治郎(がんじろう)(1860~1935年)。上方歌舞伎の名優の足跡をたどる展覧会が、大阪歴史博物館(大阪市中央区大手前4)で開かれている。

鴈治郎は、三代目中村翫雀(かんじゃく)を父とし、1873(明治6)年に初舞台。男女の情愛を写実的に演じる和事(わごと)の名手として「城とおこしとガンジロはん」と、大阪名物に数えられた。

東京・歌舞伎座での初舞台「絵本太功記」を初陣に見立てた役者絵や番付からは、花形役者の道を駆け上がる芸熱心な姿が浮かぶ。

目を引くのは、京都・南座の顔見世(かおみせ)興行中に倒れ、亡くなった時に出た「死絵(しにえ)」。訃報と追善を兼ねた伝統的な錦絵だが、写真印刷の普及した当時としては異例の出版で、「巨星逝く」の号外とともに、熱狂的に愛されたことが伝わってくる。

鴈治郎自身も筆を執り、雅号の「玩辞楼(がんじろう)」は山県有朋(やまがたありとも)から贈られたものだ。書画の中には、忠臣蔵の名場面、大石良雄(内蔵助(くらのすけ))の東下りを描いた掛け軸も。赤穂の某家に伝わる品の模写だという。

約100点の展示の大半は、老舗菓子店「鶴屋八幡」のあるじだった故今中富之助氏の寄贈品。当たり役の貼り交ぜ屏風(びょうぶ)も金具を見れば、鴈治郎の定紋が入った凝りようで、ひいきぶりがよく分かる。

芝居町として栄えた大阪・道頓堀の開削400年を記念し、没後80年にあわせて企画された展覧会。文化を形作るのはスターのみならず、ファンがあってこそだと思わされる。

8月23日まで。火曜休館。一般600円。8月2日午後2時から展示解説。同館TEL06・6946・5728

https://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201507/0008214551.shtml
参照元記事 / 神戸新聞NEXT

久保田金僊(きんせん)作の「玩辞楼十二曲屏風」などが並ぶ「初世中村鴈治郎」展=大阪歴史博物館 / 神戸新聞NEXT

久保田金僊(きんせん)作の「玩辞楼十二曲屏風」などが並ぶ「初世中村鴈治郎」展=大阪歴史博物館 / 神戸新聞NEXT

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