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潮干狩りがレジャーとして人気を集めたのは江戸時代

連載【江戸の知恵に学ぶ街と暮らし】住宅ジャーナリスト山本 久美子

浮世絵にも数多く描かれた、江戸時代の潮干狩り

春から初夏にかけては潮の干満の差が激しく、引き潮が日中にあたる。そのため江戸時代から、江戸湾に面した地域の人たちがこぞって潮干狩りに出かけた。上の絵のように、着物の裾をまくって潮干狩りに興じる風景は、浮世絵に数多く描かれている。それだけ潮干狩りがレジャーとして人気を集めたということだろう。
『東都歳時記』によると、江戸時代の潮干狩りは、潮が引き始める朝から船で沖に出て、正午ごろ海底が陸地になったら船から降りて、アサリやハマグリなどを拾ったり、時には小魚やヒラメを採って、その場で調理して宴を催したという。
潮干狩りの名所として、「芝浦・高輪・品川沖・佃島沖・深川洲崎・中川の沖」が挙げられている。江戸の急速な都市化によって今は東京湾に面してないが、当時はそれらの地域が江戸湾に面したことが分かる。
潮干狩りそのものを取り上げた落語や歌舞伎を筆者は知らないが、春日八郎の歌「お富さん」でもよく知られた、歌舞伎の「与話情浮名横櫛」(死んだはずのお富さんと切られ与三郎が登場する話)は、潮干狩りに縁がある。二人の出会いが、潮干狩りの帰り道だったのだ。

歌舞伎「与話情浮名横櫛」(通称:切られ与三)とは…

「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」は、嘉永6年(1853)、江戸中村座で八代目市川団十郎が初演し、大当たりをとった名作。九幕三〇場の長編だが、今も二幕目「木更津浜辺の場」(通称:見染(みそめ))と四幕目「源氏店の妾宅の場」がよく演じられている。
与三郎は侍の出だが、当時は双生児の一人を養子に出す風習があり、小間物屋伊豆屋の養子となる。ところが、伊豆屋に男子が誕生したので、その弟に跡目を譲ろうと与三郎が放蕩をはじめた結果、木更津の親戚に預けられる。
一方、深川芸者だったお富は、木更津の土地の親分の妾で、浜遊び(潮干狩り)に来ているときに、与三郎とすれ違い、互いに一目ぼれ。舞台では浜遊びの様子は出てこないが、すれ違う二人の目と目が合って、与三郎が来ていた羽織を落とす。この「羽織落し(はおりおとし)」という演技が、恋に落ちた様子を象徴的にあらわしているのだそうだ(日本芸術文化振興会ホームページによる)。
さて、恋に落ちた二人は、親分が留守のうちに忍び会っていたところを見つかり、与三郎は体中を切られてしまう。(この傷から「切られ与三」というあだ名が付けられる)。お富は逃げて、海に身を投げる。
三年後、海に身を投げて助けられたお富は、和泉屋の番頭の妾になっていて、源氏店の妾宅に住んでいた。与三郎のほうは身を持ち崩して、ごろつき仲間とゆすりたかりをしている。ゆすりたかりのために訪れた妾宅で、二人は再会する。
お富が生きていたと気づいた与三郎は、不人情な女への恨みつらみを言うが、誤解が解けてよりを戻す。実はお富を助けた和泉屋の番頭は実の兄だったということも分かる。というのが主な話。与三郎の生家の騒動も重なって、実際にはもっと長い話になる。
<まとめの文>
今もこの季節に人気を集める潮干狩り。収穫して食べる貝の美味しさはもちろんだが、穏やかな気候のなか、老若男女が皆で安全に楽しめるレジャーとして、現代にも受け継がれている。海上保安庁では、「潮干狩りカレンダー」をインターネットで公開している。

参考資料:
「江戸の暮らしの春夏秋冬」歴史の謎を探る会編/河出書房新書
「浮世絵で読む、江戸の四季のならわし」赤坂治績/NHK出版新書
「歌舞伎ハンドブック改訂版」藤田洋編/三省堂

●日本芸術文化振興会
HP:http://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/kabuki/jp/5/5_04_37.html
●潮干狩りカレンダー – 海上保安庁 海洋情報部
HP:http://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/SODAN/shiohigari_calender/default.htm

http://suumo.jp/journal/2014/05/08/62563/?vos=nsuusbsp20111206001
参照元記事 / SUUMOジャーナル

画像提供:国立国会図書館 / SUUMOジャーナル

画像提供:国立国会図書館 / SUUMOジャーナル

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