江戸時代に加賀藩の厳しい年貢の取り立てで白米を十分に食べることができなかった先祖をしのび、山盛りのご飯を食べる「もっそう飯祭り」が十六日早朝、輪島市久手川(ふてがわ)町の本村地区であった。
ことしの当番の坂本和夫さん(65)宅では午前四時から六升の米を炊いて準備。同六時前から十三人が集まり、輪島塗の朱塗りの椀(わん)に五合ほどのご飯を盛り、ゴボウの南蛮あえ、ワラビのからしみそあえ、メギスの団子と豆腐のみそ汁、ダイコンとニンジンの酢の物と一緒に味わった。
椀から円柱形に八センチほどはみ出した直径十二センチのご飯は、食べても食べても減らず。堀場信也さん(62)は「心して来たけど、三分の一ぐらいで精いっぱい」と苦笑い。全員が食べきれず、重箱や容器に詰めておかずとともに持ち帰った。
坂本さんは「無事、終わってほっとしました。高齢化が進んで継承が難しくなるが、歴史を守るのが役割だと思う」と話した。
もっそうは、ご飯を押し込む円筒形の木の器。先祖が隠し田を作り、未明に腹いっぱい白米を食べたのが始まりとされる。現在は十七戸が三班に分かれ、当番班が他の二班の住民をもてなしている。
http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20150217/CK2015021702000054.html
参照元記事 / 中日新聞