江戸の坂名の起こり
江戸の地に幕府が作られて、多くの人たちが住まう町ができました。
はじめは現在のような町名や番地などもなく、
人々は目印となる坂に名前をつけて住所の代わりとしたそうです。
「○○坂下の誰べえ」等々。
その土地の江戸っ子庶民が、自然と呼び習わした坂の名前が、
時代を超えて受け継がれ、行政区画が整い町名番地がしっかりした現在でも、
そのまま数多く残っているのだそうです。
江戸の坂×東京の坂 1
胸突坂 (むなつきざか) / 文京区本郷5丁目
地図(坂学会)
この胸突坂を含め、文京区内には胸突坂と呼ばれる坂道が3ヶ所ある。
その一つ、西片2丁目と白山1丁目の間にある胸突坂については、
「坂路急峻なり、因て此名を得」(『新撰東京名所図会』)とあり、
もう一つ関口2丁目と目白台1丁目の間にある胸突坂については、
「あまりに坂之けはしくて胸をつくばかりなれば名付といふ」(『御府内備考』)とある。
本郷5丁目にある、こちらの胸突坂も、他の2つの胸突坂同様に急な傾斜の坂道。
坂名もやはり、その急な傾斜に由来するものである。
(文京ふるさと歴史館の本郷界隈史跡マップより)
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坂上に登録有形文化財の旅館鳳明館本館があります。
坂に面した家や植栽にも味があり、急坂と相まって風情のある坂です。
撮影:FUJIFILM GA645Zi f=55mm
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